110余年を振り返る

初代本郷、然別峡に温泉を作る

然別峡シイシカリベツ川の上流支流をユーヤンベツといいます。そこに温泉を最初に開拓したのは宮城県出身で屈足に入植した初代本郷兵吉でした。(明治25年の地図によると然別峡あたりに温泉があるということは知られていました。然別湖は未発見)
明治40年頃に温泉が奥地にあると聞き、いてもたってもいられなくなった兵吉は、明治44年、温泉使用権の許可を受け、この人跡未踏の奥地に二間半と四間の住宅を建て、温泉宿の経営を始めます。位置は現在のかんの温泉よりやや下流でした。
本郷温泉は透明な食塩鉱泉で、冬季も馬橇などを使い、米味噌を持参して湯治客が多く訪れたといいます。

歴史は移ろい、やがて兵吉の死そして、二代目の出征に伴い同郷の菅野祐喜に権利を継承します。

旧・菅野温泉

昭和19年、祐喜は本郷温泉よりも僅かに上手の山間に保養施設を建築(ほぼ現在地)、営業許可を受けると昭和21年には調理室・湯殿・居間などを増築、23年の秋には総坪数150坪の二階建てを建築。「幾稲館」と名付けて温泉経営を始めました。この温泉旅館は浴室が幾つにもなっており、何れも泉源が個々に自然湧出しているのが特徴で、それは現在まで継承されています。幾稲(いね)という名前は、伝説の女将。彼女は第二次世界大戦で夫を失い、つてを辿り、このかんの温泉にやってきました。いね子 と呼ばれていた彼女は、二人の乳飲み子を抱え苦労のそぶりも見せず、身を粉にしてかんの温泉を大いに盛り立てました。
昭和39年、祐喜の急死、親族で会社を設立。鉄筋コンクリート4階建ての近代的ホテルの着工を始め、翌年新館が完成。菅野温泉として温泉ホテルの経営を始めました。

そして、然別峡かんの温泉へ

昭和46年に然別峡一帯が「国民保養温泉地」となり、露天風呂、森林浴コースなどが整備され、ますます多くの温泉ファンが訪れてくれるようになりました。
折からの秘湯ブームによりかんの温泉も大いに盛況となりましたが、ブームも去り平成20年に休業。お湯がこんこんと湧いている中、朽ちるにまかせ荒れ果てて行きました。
平成26年8月、当社が元の建物を撤去し、湯舟の一部を残して新しくして、「然別峡かんの温泉」として復活へとこぎつけました。

過ぎ越しを振り返る

かんの温泉の始まりは1910年頃。その時代には、吉原大火 日露戦争、第一次世界大戦、スペイン風邪の大流行など、その後、火山の噴火、幾多の台風、水害、地震、冷害、バッタの来襲、第二次世界大戦、敗戦、バブル崩壊 など幾多の困難がありました。先般のコロナ禍もそのひとつ。

110余年続く、然別峡かんの温泉の湯守り人として、現在私たちが、かんの温泉のタスキを受け継ぎ、今を営んでおります。今回のコロナ禍は先人たちが乗り越えた過去の幾多の困難を振り返ると、「屁のかっぱ」程度のことと思っております。月日は百代の過客にして、湧き出る湯もまた旅人なり。

音声案内 電話予約

05017219098

<営業時間>
立寄り湯  12:00~17:00
宿泊 チェックイン  15時
   チェックアウト 10時
 ※定休日 火曜(夏) 火水曜(冬)

然別峡 かんの温泉

住所

〒081-0344 北海道河東郡鹿追町字然別国有林145林班

アクセス

帯広駅より車で60分 
駐車場あり

日帰り温泉 営業時間

12:00~17:00(日帰り入浴)
 

定休日

定休日 夏季 火曜日 
    冬季 火曜 水曜日
    不定休あり