野湯への道は数々の諸官庁のご意向により立ち入り禁止です。立ち入らないようにお願いします。ここでは素晴らしい自然湧出の温泉の記憶を伝えるために紹介しております。
明治40年頃(1907)に本郷兵吉がシイシカリベツ川の奥に温泉を発見し、明治44年(1911)に本郷温泉として開設したのが 現在のかんの温泉です。かんの温泉周辺は源泉地帯ですが、瓜二つの似たような源泉地帯野湯群が、約1キロ奥に存在しております。ここを、私どもは「然別峡かんの温泉奥の院」(Shikaribetsu Volcanoes Canyon Wild Hot Springs )と称しております。ここには明治の終わりころには水銀鉱山が開設され、多くの人々でにぎわいました。野湯はその人々の大きな楽しみであり、そこで働いていた人々の生きていた証しとなって、現在に伝わっております。
かつて、ここには水銀鉱山があった。これはビール瓶。
電柱に取り付けられていた碍子
この架台は対岸の木軌道が敷かれていた坑道から水銀を架空で運搬した起重機のあと。多くの鉱山労働者がこの山の奥で暮らしていた。彼らはこの大自然の中で、自分たちで堀り作った野湯に浸かりどのような暮らしをしたのだろうか
水銀掘削の縦鉱跡 もしくは 炊事場あとかもしれない。ここで採掘 精錬 などをしていた。
第一次世界大戦の頃、ここでは水銀の採掘がおこなわれていました。事務所 宿舎などの遺構。ここには発電機もあり電気があった。対岸には坑道があり、幾つもの縦鉱の後も。フルヤ ウインターキャラメル。
山神様 この近くには大山祇神社が、かつてあった。働いていた人々の信仰を集めた。
テムジンの湯 以前はここにありました。台風の増水で流されてしまい、現在は中央の石があるのみです。松田忠徳氏がモンゴルにも似たような温泉があるとのことで命名。
ピラの湯 メノコの湯のさらに下流、別名 絶壁の湯。
メノコの湯
ペニチカの湯 誰が呼んだかペニチカの湯 別名ニチカ。
ダム下の湯 ユーヤンベツ川にある砂防ダムのすぐ近く。この砂防ダムの下には同じような野湯が幾つもあったという。
崖下の湯 メノコの湯 の下。お湯の出口が見え、不思議な鉱物の結晶が漂う。
シリコトルの湯 現在は確認できない湯の一つ 他にペタウの湯 シリトコルの湯 シリオパの湯 発見の湯 キヌプの湯 など
いで湯橋 この橋を渡ると野湯地区 かんの温泉奥の院へ ようこそ。
対岸の湯 名前の通り対岸にあります。お湯が出てきているのが見えるのですが、そこまで。
然別峡かんの温泉の近くには野営場という名のキャンプ場があります。7月1日から9月30日の夏の間利用ができます。そのキャンプ場をぬけ、川沿いに少し進むと、野湯 鹿の湯 夫の湯 妻の湯 が見えてきます。Shikaribetsu Volcanoes Canyon Wild Hot Springs です。管理人はおりません。混浴。
鹿の湯 妻の湯から湯を引いて湯舟を維持しています。河川の増水時は埋没することも。
妻の湯 この壺湯は 昔、かんの温泉の人たちがノミで削って掘ったという。
夫の湯 なぜこれが夫で妻でないかはさておき、妻の湯とともに仲良く並んでいます。
然別峡かんの温泉にまつわる多くの言い伝えがありますが、古い手書きの地図が幾つか残っています。人の話だけで旅をした昔、記憶だけの 縮尺も不確かな 想像だけで書かれ 魅了してきた然別峡。
〒081-0344 北海道河東郡鹿追町字然別国有林145林班
帯広駅より車で60分
駐車場あり
12:00~17:00(日帰り入浴)
定休日 夏季 火曜日
冬季 火曜 水曜日
不定休あり